神戸地方裁判所 昭和63年(タ)35号 判決 1991年1月30日
原告
鄭芳子
右訴訟代理人弁護士
宮内勉
右同
宮内俊江
被告
鄭仁華
右訴訟代理人弁護士
山本諫
右同
小越芳保
主文
一 昭和五四年(民国六八年)七月二一日亜東関係協會大阪辨事處に対する届出によりした原告及び同人の夫訴外亡鄭聰安と被告との間の養子縁組は無効であることを確認する。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
一 当事者双方の求めた裁判
1 原告
主文第一、第二項同旨。
2 被告
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。
二 当事者双方の主張
1 原告の請求原因
(一)(1) 原告と訴外鄭聡安は、昭和二一年(民国三五年。以下、我が国の年号による。)二月二七日婚姻し夫婦になったものであるが、原告の夫右鄭聡安は、昭和六二年二月一八日死亡した。(以下、右鄭聡安を亡聡安という。)
(2) 被告は亡聡安の弟訴外鄭聡智(以下聡智という。)の二女(昭和四一年一一月二日生)である。
(3) 中華民国における被告の戸籍上、昭和五四年七月二一日亜東関係協會大阪辨事處に対する届出による原告及び亡聡安を養親とし、被告を養子とする養子縁組(以下、本件養子縁組という。)の記載がある。
(二)(1) 阪神地方在住の中華民国国民が養子縁組をする場合、通常「立収養書」と題する書面に、養父母となる者、養子になる者が未成年の時は実父母、がそれぞれ署名捺印し、さらに、証明人二名が右書面に署名捺印して右書面を完成させ、右書面を亜東関係協會大阪辨事處に提出し、右辨事處の認証を受けねばならない。
(2) 亡聡安は、昭和五四年頃、聡智から、被告を日本の学校に留学させたいが中華民国からの右の留学は困難なので、その便法として被告を原告及び亡聡安との養子としたことにして右「立収養書」と題する書面を作成するので、右書面の証明人欄に二名の署名捺印を得てもらいたい旨の要請を受けた。
そこで、原告及び亡聡安は、その頃、聡智からの右申出を承諾し、原告が、右書面の証明人欄に、同人の実弟訴外植田昇の署名をし、訴外郭錬璋(同人は、当時原告らの近隣に居住し、華僑総会の顧問で亜東関係協會大阪辨事處處長とも親交があった。)に、被告の日本留学を可能とするための便法である旨を伝えて右書面の証明人欄に同人の署名を依頼して、その趣旨を了解した同人からその署名を得た。
原告及び亡聡安は、被告がその後中華民国から日本に留学して来ることがなかったので、右書面(以下、本件届出書という。)による届出はなされていないものと考えていた。ところが、右届出書が亡聡安及び原告不知の間関係機関に提出され、前記戸籍上に前記記載がなされるに至った。
本件届出書は、以上の経過により作成されたものであり、したがって、原告及び亡聡安には、右書面作成時にも、それ以後も、本件養子縁組をなす意思は勿論、右届出をなす意思も全くなかった。
(3)(a) 中華民国民法による養子縁組をしようとする場合、配偶者のある者はその配偶者と合意のうえでなければ右養子縁組をすることができないとされている関係上、右「立収養書」が前記大阪辨事處に提出される場合、養親となる夫婦が自ら右辨事處に出頭して当該認証手続を行わねばならない。
(b) しかるに、本件においては、亡聡安及び原告は、本件届出書提出のため右辨事處に出頭していないし、仮に亡聡安が聡智と右届出書提出のため右辨事處に出頭したとしても、亡聡安には本件養子縁組をなす意思がなかったし、いずれにせよ、原告自身は右辨事處に出頭していなかった。
(三)(1) 右各主張事実から明らかなとおり、本件養子縁組については、原告及び亡聡安には本件届出書作成時の当初から右養子縁組をなす意思、さらに、夫婦である原告と亡聡安の間に共同して右養子縁組をなす合意もなかった。勿論、右両名には、右養子縁組を届出る意思もなかった。
よって、本件養子縁組は、無効である。
(2) そこで、原告は、本件養子縁組が無効であることの確認を求め本訴に及んだ。
2 請求原因に対する被告の答弁及び抗弁
(一) 答弁
請求原因(一)の事実は認める。同(二)(1)の事実は認める。同(2)中本件届出書が作成されたことは認めるが、同(2)のその余の事実は否認。亡聡安と原告夫婦間には子女がいなかったので、聡智は、亡聡安の、被告を是非とも亡聡安夫婦の養子にしたい旨の切なる申出を拒否し難く、その申出を承諾して本件養子縁組をしたものである。原告も、当初から右養子縁組をすることを承諾していたし、それだからこそ、原告も本件届出書に署名捺印した。亡聡安及び原告夫婦には、右届出書作成当時から右養子縁組の意思が存在した。同(3)(a)の事実は認めるが、同(三)の事実は否認。本件養子縁組は、次の一連の手続を経て完結する。即ち、本件届出書が前記大阪辨事處に提出された後、養親となるべき亡聡安夫婦が右辨事處に出頭して旧領事の職務を行う係員の直接調査を受けてその確認を受け、続いて右提出した右届出書に右確認の認証を受けたうえ右届出書を中華民国台湾省の所轄法院(裁判所)に提出してその認可を受け、右認可証のある右届出書を所轄警察署に提出し、ここで初めて戸口調査原簿に登載されて、右手続が終了する。
本件においても、聡智関係戸口調査原簿における被告の事項欄には、「現住日本鄭聡安夫妻収養本籍変更」と記載されているから、右一連の手続が完結されていることが明らかである。したがって、亡聡安夫婦が共に右辨事處に出頭して右係員の調査を直接受けたことも、明らかである。同(三)の主張は争う。
(二) 抗弁
(1) 本件養子縁組につき法院の認可が必要であることは、前記のとおりであるところ、中華民国民法一〇七九条の二によれば、養子縁組につき右法院の認可があってから一年を経過すると、右養子縁組の撤回、取消無効の請求をなすことができない。
(2) 被告の戸籍上の手続が昭和五四年八月七日なされたことは、前記戸口調査原簿の記載から明らかである。
そうすると、右法院の認可が右日時以前になされたことは、前記養子縁組が完了するまでの一連の手続から十分推認し得るところである。
しからば、原告が本訴を提起した昭和六三年六月三〇日は、右法院の認可後一〇年以上を経過した後の提訴であり、原告の本訴請求は、明らかに右民法一〇七九条の二に抵触し、実体法上は勿論手続法上も許されないというべきである。
3 抗弁に対する原告の答弁
抗弁事実(1)中本件養子縁組につき中華民国民法上法院の認可を必要とすること、同国民法一〇七九条の二の存在は、認めるが、同(1)のその余の事実及び主張は争う。同(2)の主張は争う。
右法条は、同法一〇七四条違反の場合(配偶者のある者が共同して養子縁組をしなかった場合)法院の認可の日から一年を経過したときに右養子縁組の取消権が消滅する旨の規定である。
養子縁組の無効の場合は、取消の場合と異なり当然無効であって、その無効確認の訴提起については期間の定めがない。
本件訴訟は、養親とされた亡聡安及び原告に本件養子縁組の意思は勿論届出意思を欠き右養子縁組は無効であるとする養子縁組無効確認訴訟である。したがって、本件訴訟に右法条の適用はない。
三 証拠関係<省略>
理由
一本訴請求に対する裁判管轄権の存否
原告と被告の国籍がともに中華民国であることは後記認定のとおりであるから、本件は明らかに所謂渉外事件であり、したがって、まず、当裁判所の本件訴訟事件に対する裁判管轄権の存否が問題となる。
しかして、本件においては、当裁判所に右裁判管轄権を認めてしかるべきである。
蓋し、原告が神戸市内に住所を有し、しかも被告が原告の本訴請求に応訴していることは本件訴訟資料から明らかであるところ、原告が神戸市内に住所を有し被告が応訴している場合は、被告住所地主義の例外として、当裁判所に本件訴訟事件の裁判管轄権を認めても、身分関係訴訟が有する強度の公益性を害する弊害は少なく、しかも当事者の便宜にも適うと解するのが相当だからである。
二原告の本訴における当事者適格
本件養子縁組における養親が亡聡安及び原告であるところ本訴が亡聡安の死後原告によって単独提起されたことは、本件訴訟資料から明らかである。
そうすると、亡聡安と被告との関係で本訴における原告の当事者適格が問題となる。
そこで、この点について判断するに、原告の本訴当事者適格は、これを肯認するのが相当である。
蓋し、本件訴訟手続は法廷地法である我が国人事訴訟手続法によるところ、右訴訟手続法上、本件のような場合、即ち、養親夫婦の一方が死亡している場合の養子縁組無効確認の訴においては、死亡した夫婦の一方に代わって当事者適格を持つ者がいないから、生存する者のみが単独で当事者となり得ると解するのが相当だからである。そして、右訴訟手続法は、身分関係の真実確定のため、その訴訟当事者としての適格者死亡の場合においてその訴提起並びに遂行に関し種々の配慮をし、その関係規定(右訴訟手続法二条・二六条・三〇条)を定めているところ、本件のような養子縁組無効確認の訴に右各規定を類推適用するのが相当であるから、右結論は、右観点からも支持し得るというべきである。
三本件訴訟事件に対する準拠法
原告と被告双方の国籍が中華民国であることは後記認定のとおりであり、原告の本件主張が本件養子縁組の意思欠缺による無効であることは本件訴訟資料からあきらかである。そうすると、本件訴訟事件は、養子縁組の実質的成立要件に関する紛争というべきであるから、右訴訟事件に適用される準拠法は、旧法例一九条一項(改正法例によれば二〇条一項。ただし、右改正法例附則二項によれば、改正法例の施行前に生じた事項についてはなお従前の例によるので、本件養子縁組については、その成立時における法例の規定、即ち、旧法例一九条一項が適用される。)にしたがい、各当事者につきその本国法である中華民国民法ということになる。
四原告主張の本件養子縁組無効原因の存否
1(一) 請求原因(一)の各事実、同(二)(1)の事実、同(2)中本件届出書が作成されたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によっても、右各事実が認められる。
なお、被告の国籍が中華民国であることは、右認定事実〔右請求原因(一)の事実〕から明らかである。
(二) <証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。
(1) 原告は、亡聡安と婚姻すると同時に日本国籍を離脱し中華民国国籍を取得したものであるが、同人ら夫婦間に実子が存在しなかった。
そこで、同人ら夫婦は、昭和四四年二月、亡聡安の実弟訴外鄭聡明(亡聡安は長男、右聡明は三男。)の二男訴外鄭柏銅(当時九歳。以下、柏銅という。)と養子縁組をすることにし、同人の父母である右聡明ら夫婦の同意の下に、同月二四日、右養子縁組をした。
中華民国台湾省台北市地方では、一般に子が実親以外の者と養子縁組をする場合実親の兄弟姉妹が集まって協議する習慣があり、右柏銅が亡聡安夫婦と右養子縁組をする時も、右習慣にしたがって右聡明の兄弟らが集まり出席者全員がこれに賛同した。
右養子縁組の手続中、日本国内で必要な前記大阪辨事處への届出書の提出は、亡聡安と原告がこれを行い、中華民国で必要な手続は、亡聡安がこれを行った。
右柏銅は、右養子縁組後、一三歳まで右聡明の許で生活し、その頃、来日して亡聡安ら夫婦と同居生活をするようになった。
亡聡安ら夫婦は、右柏銅が来日した当時、神戸市中央区中山手一丁目に居住して中華料理店を経営していた。右柏銅は、右来日後、中華同文学校小学校六年生に入学し、同校を卒業後、同校中学校、私立神港高校、大阪産業大学短大に各進学卒業をした。そして、同人は、その間、亡聡安ら夫婦の経営する中華料理店の営業を手伝っていた。
しかし、同人は、昭和五八年になって、亡聡安ら夫婦の営む中華料理店という飲食店業の営業に関与することを嫌い、しかも原告との仲もうまく行かなくなったため、亡聡安ら夫婦に対して離縁の申出をした。同人ら夫婦は、右柏銅の右申出を受け、これも止むを得ないと考えこれを承諾して、同年七月二〇日、右柏銅と離縁した。
亡聡安は、その頃、前記鄭聡明に右離縁を告げ、同人も成人に達した右柏銅の意思を尊重するとの立場上右離縁に同意していた。
亡聡安は、右離縁に際して、原告に対し、同人ら夫婦に子はないが前記中華料理店があるから将来の生活は大丈夫である旨話していた。
(2) 原告は、昭和五四年七月二一日頃、聡智の来日来訪を受けたが、その頃、亡聡安から本件届出書(<証拠>)を示され、被告の日本留学の便宜上同人を亡聡安ら夫婦の養子にする旨聞かされた。右書面は聡智から亡聡安に手渡されたものであるが、聡智は、右書面を亡聡安に手渡す前に、市販の養子縁組用紙を買求め、右用紙の不動文字で印刷された以外の必要事項、収養人欄の亡聡安ら夫婦の氏名、被収養人欄の被告の氏名、法定代理人欄の聡智ら夫婦の氏名を、聡智の妻訴外鄭荘福嬌の弟に記載させ右各氏名下に相当印を押捺し、ただ証明人欄のみを空白にしていた。
原告は、亡聡安から右書面を手渡された際、同人から、右書面の証明人欄に証明人二名の署名捺印を得て来て欲しい旨依頼され、右証明人のうちの一名は訴外郭錬璋に頼むようにせよと指示された。そこで、原告は、それが被告の右留学の役に立つならばと考えて、右証明人のうち一名分として原告の実弟訴外植田昇の氏名を右用紙の証明人欄に記入しその氏名下に相応する印章を押捺した。そして、原告は、その頃、近隣に居住する右郭錬璋(同人は、華僑総会の顧問をしていて、前記辨事處處長とも懇意であった。)の許を訪ね、同人に対して、台湾にいる亡聡安の姪が日本留学するのでその便宜上同人を亡聡安ら夫婦の養子にする、その証明人になって欲しい旨依頼した。
当時日本留学が困難であり、そのため右留学手続の便宜上華僑間でこのような形の養子縁組がよく行われていたので、右郭錬璋は、同人の右立場上、原告から右依頼を受けた際、その依頼の趣旨を理解し得、右郭錬璋も、右書面の証明人欄に同人の氏名を署名しその氏名下に捺印した。
原告は、このようにして右書面の右証明人欄に二名の署名捺印を完成させ、その直後、右書面を亡聡安に手渡した。しかし、原告は、その後、右書面がどのように使われたか全く知らない。
原告は、右経過で右書面の証明人欄を完成させる間、当時同人ら夫婦には前記のとおり既に養子として前記柏銅がいて更に被告と真に養子縁組をする必要がなかったから、亡聡安の本件養子縁組に関する前記説明を全く信じて疑わなかった。
(3) 亡聡安は、その後同人が死亡するまでの間、本件養子縁組の話を一度もしたことがなかったし原告自身も右養子縁組のことを考えたことがなかった。
被告自身もその後一度も来日せず依然台湾に居住し続けていた。
そうするうち、原告は、亡聡安が死亡した後の昭和六二年五月頃、亡聡安の借財を整理するに当たり、初めて被告が亡聡安ら夫婦の養子になっていることを知り、全く驚愕してしまった。
勿論、原告は、右養子縁組に関して、前記大阪辨事處に出頭したこともない。
(4) 前記鄭聡明は、亡聡安の存命中、同人から、同人ら夫婦が被告を養子にしたとの話を聞いたことがなかったし、聡智からもこのことを聞いたことがなかった。
また、前記柏銅が亡聡安ら夫婦の養子になる時行われた右鄭聡明ら兄弟の前記寄り合いは、本件養子縁組に際しては行われていない。したがって、右鄭聡明の親戚間でも、右養子縁組の話がなされたことはない。
(三) <証拠判断略>
<証拠>も、これから、前記大阪辨事處が本件養子縁組を昭和五四年七月三〇日付で認証したことは肯認できるものの、右各文書から、それ以外に、亡聡安と原告がその際右辨事處に現実に出頭したことまで肯認できない。
よって、右各文書の記載内容も、右認定説示を妨げるまでに至らない。
2(一) 右認定各事実を総合すると、本件養子縁組においては、当事者間に中華民国民法にいう収養・被収養意思(我が国民法にいう養子縁組意思)の合致を欠くときに当たるというべきである。
(二) もっとも、被告の戸籍上に本件養子縁組についての記載があることは前記認定のとおりであるところ、右事実からすると、本件養子縁組は中華民国実定法上適法な手続(本件においては、特に前記大阪辨事處の認証及び中華民国民法一〇七九条五項所定にかかる管轄法院の認可。)を経ているものと推認でき、右手続の完結は、右認定説示、即ち、右養子縁組につき中華民国民法にいう当事者間の収養・被収養意思の欠缺を肯認する右2(一)の認定説示を妨げるかの如くである。
しかしながら、本件において、右辨事處の右認証手続を担当した係員が所謂実体的審査権、即ち、本件のような養子縁組につき、その実体的要件である右意思の合致まで審査する権限、を有していたことは、これを認めるに足りる証拠がない(むしろ、右係員は行政機関と解されるから、単に右養子縁組につき形式的審査権を有していたに過ぎないと推認するのが相当であり、証人郭錬璋も、右推認を裏付ける趣旨の供述をしている。)から、本件養子縁組につき右認証手続を経たからといって、このことから直ちに右認証手続においても右収養・被収養意思の合致まで確かめられたとすることはできない。
また、右法院の認可手続においても、本件において、亡聡安及び原告が右法院に直接出頭したことを認めるに足りる証拠がない(むしろ、亡聡安及び原告の本件届出書作成後における言動、に関する前記認定からすれば、同人らは右法院へ直接出頭したことはないと推認できる。)から、右法院の認可があったからといって、このことから直ちに右認可手続においても右同意思の合致まで確かめられたとすることはできない。
右認定説示から、右手続の完結も、右2(一)の認定説示を妨げるに至らない。
(三) <証拠>によれば、中華民国民法上当事者間に収養・被収養意思の合致がない場合当該養子縁組を無効とする旨の明文の規定はない(同法上明定された無効原因については、後記認定のとおり。)が、これを当然無効とすることについてはその解釈上異論がないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
本件準拠法である中華民国民法の立場が右認定のとおりである以上、右意思の欠缺が肯認される本件養子縁組は、無効というべきである。
よって、原告のこの点に関する主張は、理由がある。
五被告の抗弁
1 抗弁事実(1)中本件養子縁組につき中華民国民法上法院の認可を必要とすること、同国民法一〇七九条の二の存在は、当事者間に争いがなく、右法院の認可が必要なことは、前記認定のとおりであり、同国民法一〇七九条の二の存在は、当裁判所に顕著な事実である。
そして、右養子縁組につき右法院の認可をも得たものと認め得ることは、前記認定のとおりである。
2 しかしながら、右一〇七九条の二の規定は、その文言から養子縁組の取消に関する規定(本件に関していえば、同法一〇七四条所定の配偶者を有する者が共同して養子縁組をしなかった場合、法院が認可した日から一年を経過したときは取消の請求をすることができない旨を規定。)であることが明らかであり、一方、本件が前記収養・被収養意思の欠缺を理由とする本件養子縁組の無効の主張であり、しかも、原告の右主張が肯認し得ることは、前記認定説示のとおりである。
しかして、本来、無効と取消はその法的性質を全く異にするものであるし、同法もまた同法一〇七九条の一に収養の無効原因〔ただし、同法条が定める無効原因は、収養者の年齢制限(同法一〇七三条)・法定親族間における収養禁止(同法一〇七三条の一)・同一人の複数養子の禁止(同法一〇七五条)の各違反であり、本件のような当事者間の収養・被収養意思の欠缺については明文の規定がないこと、しかし、この場合は当然無効と解されることは前記認定説示のとおりである。〕、同法一〇七九条の二に収養の取消原因〔養親夫婦の共同養子縁組の原則(同法一〇七四条)、養子配偶者の要同意(同法一〇七六条)・満七歳以上の未成年者が養子となる場合の法定代理人の要同意(同法一〇七九条の二・三項)の各違反〕を各定め、収養につきその無効と取消を明確に区別していることは、当裁判所に顕著な事実である。
右認定説示からすると、本件に、被告が主張する同法一〇七九条の二の適用はなく、したがって、右法条所定の期間の定めは、原告の本訴無効の主張及びこれに基づく本訴の提起に及ばず、ひいては、原告の右主張を肯認する当裁判所の前記認定説示を何ら妨げるものでないというべきである。
よって、右認定説示に反する被告の抗弁は、理由がない。
六結論
以上の全認定説示に基づき、原告の、本件養子縁組の無効確認を求める本訴請求は、全て理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官鳥飼英助)